The Sound and The Fury.

伊坂幸太郎著“あるキング”読了。

野球選手になるべく生まれたある人物の、0歳から23歳までを綴った物語。
目次には、

0歳 三歳 十歳 十二歳 十三歳 十四歳 十五歳 十七歳 十八歳 二十一歳 二十二歳 二十三歳 0歳

とあり、最後の0歳を先に読みたい衝動としばし葛藤(笑)
だって、どう考えても不思議で。不思議に目がない私は、ネタバレも逆スライド読書も日常茶飯事。


しかし、とりあえず順に読もうと決意。


出だしから、妙な違和感に戸惑う。いつもの伊坂ワールドと違う。
軽妙さなどまるでなく、言葉遊びも少ない。
けれど引用はたっぷりある(笑)ここでちょっと安堵。
背景にはマクベスの気配が。
マクベスの3人の魔女のような存在が登場するせいですが。


伊坂作品には、人の悪意が強く描かれていることが多いように感じるのですが、それがとても心に痛みを走らせ。
でも、よーく読めばあちこちに善意の欠片がちりばめられていて、それを見つけては安心しつつ、うなずきつつ(笑)
そして、そういう人が必ずしも世間で言う“いい人”ではないことも多く。
そこが楽しかったりして、新刊が出ればすぐ読みたくなってしまう、という。
という意味で、善意というか当たり前なことを普通にできる(やってしまう)人が多く登場した“ゴールデンスランバー”が、今のところ一番好きかな。

話が脱線しましたが、この物語は悪意だらけですね。読んでいて胃痛が。
でも、目を凝らしてみればやはりいつもの探せば見つかる欠片もあり。


読んでる最中、読み終わったとき、伊坂作品の“モダンタイムス”が浮かんできました。


「危険思想とは常識を実行に移そうとする思想である」


というセリフだったか文章だったか。


あるキングの中で、マクベス3人の魔女は問う。

「おーく(王求:主人公の名)、フェアに生きろ」
「おーく、フェアネスを貫けるか」

マクベスの3人の魔女とこの3人の魔女の違いは、3人が3人とも同じ事を言う点。
つまりエコー?(違

3人の魔女は見える人には見えるという設定で、父親にも認識できたらしく、父親は毅然とした態度で答える。

「当たり前だ」

と。


その答えに対し、魔女達は輪唱する(笑)

「そう、うまくいくだろうか」
「まわりがフェアに扱ってくれるだろうか」
「きれいはきたない。きたないはきれい」
「フェアはファウル。ファウルはフェア」
「フェアネスを貫こうとする者は不幸になるぞ」

最後のセリフで「危険思想とは〜」が浮かんできたのですが。


王求は、才能と努力によって当然の如く、“規格外、例外”となってしまう。


ここでまた思い出す別の伊坂作品のセリフ。

「システム化された世界で邪魔になるものは“例外”であり、例外は人間にもある」

その小説では、例外的な人間がどう処理されるかは語っていなかったけれど、その答えがこの小説にあった。



例外は邪魔。



野球の試合で、常にホームランを打つ王求が迎えられたのは“敬遠”というファウル。
敬遠され、正しい結果が出せない。評価が適正でなくなる。
だから記録の更新ができない。


まわりはフェアに扱ってくれなかった。


でも、王求は不平不満を言わず淡々として野球を続ける。
それが運命だと知っているから。



ただ、王求は“王になるべく者”らしいので(笑)、傅く者達も登場し。
彼らも王求にフェアじゃなかったと思う。両親含め。
フェアではない、という意味を色んな角度で見ることができました。


救われてるような救われないような物語が続くのですが、最後の0歳でちょっと鳥肌がたったというか、ね。
ループするのね、と。バトンタッチして。



でもね。
例外的な強さと言えば、今、キム・ヨナ選手を思い出すのですが、彼女の金を世界中は拍手喝采をもって喜んだじゃないですか。
そういった面に目を向けないのは、伊坂作品の特徴のひとつでもあるよね、と思いつつ、だからこそ、きっと、キム・ヨナ選手も色んなファウルにぶつかってきたのだろう、と想像できるのだけど。


そして!
今回はマクベスの影に怯えていたら、なんと!ガンダムが出てきましたよ!小説内に。
ビックリ。
でも、よくわからなかったので、ガノタの甥っ子に訊いてみると


甥っ子「それはー俺は知らない昔のやつかもしんないなー、でもあれかなーこれかなー」

と、出るわ出るわ沢山のタイトルが。
それでもわからなかったので、

私「あーあのブタのツメみたいなやつ?」

と訊いたら、即効で

甥っ子「それはターンAって読むんだよ!(軽蔑の眼差し」


…。

読み方は知ってるけど、私にとっては絵柄みたいなものだから。


とりあえず、ビックリした。伊坂作品にガンダム






そして、これを機にトランプの絵柄の意味に興味を持ちまして、色々調べてみたり。
深い意味があるんですねー。国によっても違う点もあって。
面白いです。
“あるキング”の表紙は、スペードのKINGですが手にしているのはバットです。
スペードが意味するのは“剣”ですが、王求にとってはバット=剣ということなのでしょうか。
バットに近いと思うのは、クローバーの棍棒なのですが、意味的に違うのかなあ…などと考え込んだり。


伊坂作品は、こういった広がりがあるから楽しいですね。



すでに長文ですが、心に残った名言を記しておきます。


「私たちが恐れるべきは、負けることではなく、負けることを恐れなくなっていることだ」
仙醍キングス フランクリン・ルーズベルト

なぜか、お蝶夫人を思い出した。
「負けることを怖がるのはおやめなさい。それよりも、力を出さないまま終ることを恐れなさい」
エースをねらえ!


「わたしたちが恐れなくてはいけない唯一のことは、恐れることそのものだ」
アメリカ第三大統領 フランクリン・ルーズベルト

そう。お蝶夫人を思い出し(しつこい



「悲しみというやつ、どうやらうつるものらしいな」
シーザー側近 アントニー

笑いもうつるよね。感染する。吉田戦車を思い出した(笑)



「俺はな、優雅に飛んでる鳥が落っこちたりするのを見て溜飲を下げるよりも、絶対飛ばないような牛が空飛ぶのを見て、大爆笑するのが好きなんだ」
仙醍キングスオーナー 服部勘太郎

服部勘太郎はやくざな男なのだけれど、憎めない。敬意を表して(笑)
こんな言葉を思い出した。

The great pleasure in life is doing what people say you cannot do.

敬意を表してと言っても、ただ英文なだけ。



「見てくれの良い、清潔感のある方が正義で、不恰好で醜い姿の方が悪者だと決め付けるのはもしかすると、偏見かもしれない」

これはよーく出てくるよね。伊坂ワールドに。
様々な表現を使っているけれど。


私は見てくれで決めたりしないけどね。
言動で決める。

だから、グラスホッパーに出てくる比与子の言うように、辛い人生を送ることになるかもしれないね(笑)